いろんな本を読んでみる

本を読み散らかすだけじゃもったいない!ので、読んだ本を記録します

誰にも嫌われずに 同調圧力をサラリとかわす方法

誰にも嫌われずに 同調圧力をサラリとかわす方法

を読んだ。

 

誰にも嫌われずに同調圧力をサラリとかわす方法

 

正直、タイトルだけ見たときは、

無理!

って思ってしまった。

 

なぜなら、

同調圧力をかわす=空気読めない=嫌われる??

という図式が頭の中に出来上がっていたから。

 

しかし、この本の趣旨としては、

同調圧力「かわす」「かけない」「あえて活用する」

ことを主眼としている

 

そのために、大事なことは

精神的に安定した人になる

ことであり、そのためには

自分の気持ちにだけ注目する

と著者は説いている。

具体なやり方とそれによる変化については

「本当は何も感じていない」と唱える→同調圧力の洗脳から解放される→「私ってすごいかも!と感じられる」→どんどん目の前のことが楽しくなってきて自然と極めていってしまう…というような流れで、自分を変えていける

 

さらに、同調圧力の良い面にも着目し、

前向きな同調圧力で組織の力をUPさせ、自分の評判を上げることにも活用できる、

と述べているのだ。

 

これを読んで、

「自分がどうありたいか」「人より自分の気持ちを大事にできているか」

と考えることの大切さに気付いた。

 

人を基準に考えていると、いつまでも人のことなんて「わからない」

そんな「わからないもの」に右往左往すると疲弊するのも当然だと思う。

しかもそこには自分がどうしたいかがないからつまらない。

 

また、同調圧力をうまく使うという観点では、

学生時代のことを思い出すと、

イベントなど「めんどくさいー」「ださいー」とやらないという選択肢もあるが、

思いっきりやったら結構楽しかったりする。

 

社会人になってからも、仕事に関する資格取得等に積極的に名乗りを上げれば、

同じ時期に資格取得しようとする人と励ましあって頑張れるし、

結果、難しめだったり需要の多いスキルの資格が取れれば

社内の評価だけでなく、自分自身の「市場価値」自体が上がる、ということは

実感できる。

 

「自分がイキイキ生きるためのヒント」になる本だと感じた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

タイトル 誰にも嫌われずに同調圧力をサラリとかわす方法

著者 大嶋 信頼

 

 

ホーローバットで作る とびきりスイーツ と もうひとつ食べたくなる軽やかな焼き菓子

お菓子作りをすると、「中途半端に余った材料」に悩まされがちだ。

 

最近、きょうの料理で紹介された 「ココアクッキーチョコサンド」に

はまっている。

ココアクッキーチョコサンド レシピ 若山 曜子さん|みんなのきょうの料理 (kyounoryouri.jp)

バターではなくオイル(太白ごま油)を使うので、手順も簡単で、
材料もチョコレート以外は家にいつもあるようなものばかりで作れる、と
いいことずくめ。

ただ、一つだけ困るのが「卵黄一個」を使うこと。

その結果、冷凍庫に卵白がたまってきてしまうのだ。

 

 

お菓子作りであまって困る食材トップスリー(独断と偏見)は、おそらく以下の3つではないだろうか。

1.卵白

2.200ml未満の生クリーム

3.アーモンドプードル

 

冒頭のクッキーづくりで余る「卵白を使うお菓子」といえば、」ラングドシャ」・「フィナンシェ」・「マカロンあたりだが、ラングドシャは3個も4個も卵白消費することにはならないし、マカロンは若干ハードル高め。

 

ということで、冷凍卵白のストックがたまったら作るのが、こちらの本に載っている

「グランフィナンシェ」だ。

 

ホーローバットで作る とびきりスイーツ

 

こちらのフィナンシェはバット1枚に生地を全部流して大きく焼いてしまうというもの。

専用の型がなくてもOK!というのが魅力だ。

しかも、手作りフィナンシェのだいご味、焼きたてカリカリの香ばしさと歯ざわりも味わえるとお気に入りのレシピだ。

 

ただ、ここにも欠点?があり、フィナンシェなので、アーモンドプードルを使う。(余って持て余しがちなトップスリー食材?)

富澤商店の100g入りを買うことが多いのだが、このレシピでは若干余る…ということで、

今度は、アーモンドプードルの使い切りを考えねばならない。

 

そんな時、

おなじ本に載るバターケーキであったり、

バターを使わずもっと手軽に作りたいときは、

なかしましほさんのクッキーとか、吉川文子さんのクッキーとか、

アーモンドパウダーを「ほどほどに」使うレシピが活躍するのだ。

 

 

…とまあ、お菓子作りをしていたらあっちを立てればこっちが立たず的なことが

繰り返される(気がする)のだが、

その過程で新しいレシピを見つけてチャレンジしてみる楽しさも

またお菓子作りの醍醐味かと思う。

 

あとは、これらをペロッと平らげる強靭な胃袋と代謝のいい肉体があれば

いうことないのだけれど。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

タイトル ホーローバットで作る とびきりスイーツ

著者 ムラヨシマサユキ

タイトル まいにち食べたい”ごはんのような”クッキーとビスケットの本

著者   なかしましほ

タイトル もうひとつ食べたくなる 軽やかな焼き菓子

著者   吉川 文子

 

 

二度寝とは遠くにありて想うもの

二度寝とは、遠くにありて想うもの

津村記久子さんのエッセイを読んだ

 

 

中でも共感したエピソードは、

平日ファミレスランチにいけない

というもの

 

  • ある程度の食べたいものは自分で作れる
  • 全く気力がないならファミレスにもいけない
  • 気力が残ってるなら安くはないファミレスにいかなくてもよい

⇒ファミレスと自分が噛み合わない

という感覚に、深く同意した。

 

 

ただ、これを読んで思ったのが、

価値観は人それぞれかも、ということだ。

 

私は著者同様、ファミレスの使いどきがわからない…というクチだが、

ともすれば、「だからファミレス嫌い」とか言ってしまいがちだった。

 

この、「自分とかみ合わない」という感覚を理解することは

大事だと思っていて、

ファミレスの提供する価値が十分お金に見合うと感じるケースや

人もいるだろう

 

そういう時に、「その感覚がおかしい」と考えて行動するのではなく、

自分とは違う、という感覚で、相手から見たら「自分の感覚がおかしい」と

思うだろうな…と、想像をして行動するほうがいいと感じた。

 

 

ーーーーーーーー

タイトル 二度寝とは遠くにありて想うもの

著者   津村記久子

 

 

 

 

そして誰もゆとらなくなった

そして誰もゆとらなくなった を読んだ。

本当に、ぼーっとしているときに開くと、

時に共感、時に「ありえない」そして「楽しそう」と思えるエッセイ集だ。

そして誰もゆとらなくなった (文春e-book)

 

時をかけるゆとり (文春文庫) 同様、

おなかが弱いゆえのエピソード、

本気でサプライズや余興をする様子…など、

ついつい吹き出してしまう。

 

 

これを読むと、「面白い」「楽しい」ってかんじたければ

まずは自分が何か行動を起こすことだな、

面白いこととの出会いは勝手にやってこないんだな、と思った。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

タイトル そして誰もゆとらなくなった

著者   朝井リョウ

 

 

琥珀の夏

琥珀の夏 を読んだ。

 

 

琥珀の夏 (文春e-book)

静岡の山にある「ミライの学校」。

自然の中で、未就学児から10代後半、高校生に当たる年齢の子どもたちが共同生活を行っている。

自主性を育むこと、身の回りのことを自分でやれるようになること、

そして、子供たちが「対話」を繰り返すこと。

現代の子育て環境・教育の在り方に疑問を持ち、この方針に共感した大人が

せんせいの立場として、また、親子ともにこのミライの学校にはいり、

親子が別々に暮らしている。

ミライの学校では1週間のサマーキャンプも実施している。

ミライの学校を移転する際、跡地からあるものが発見され、大事件となる…。

 

この本を読んで感じたのは、社会に居場所がなくても、

人とかかわりあって生きていく限り「今の社会で」生きるすべを

身につけざるを得ない、ということだ。

 

社会にはいろんなタイプの人がいる。

人を馬鹿にしたりして、集団の中で強い立場にいる人、

集団で、貶められる役回りになりがちな人、

自分の考えが当たり前だと思っている人。

 

そんな場所で、毎日がつらいと感じているからといって、

なかまはずれ、いやがらせ、争い、いじめ、そういったものが

ないコミュニティの中だけでいつまでも生きていくことは難しかったり、

そんな中でも、何らかの形で意図的に相手を貶めようとする人は出てくることは

ありうる、ということを改めて実感した。

 

今の環境がつらくて、別の場所を求めても、

つらいことが起こらない保障はどこにもない。

自分が変われば変わるケースもあるかもしれないが、

「自分に責がある」とだけ考える必要はない。

追い込まれたときは目線を変えてみること大事だと感じた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

タイトル 琥珀の夏

著者 辻村深月

 

 

 

 

 

婚礼、葬礼、その他

婚礼、葬礼、その他 を読んだ

婚礼、葬礼、その他

ヨシノはいつも呼ぶ側ではなく呼ばれる側の人間だと自負している。

結婚式でのスピーチ、2次回幹事を頼まれ、屋久島旅行をキャンセル。

さらに結婚式へ向かう途中、上司の父親の通夜手伝いに向かうことになる。

 

 

実子、孫には好かれもせず、愛人を囲い、通夜では妻と愛人でバトルが起こる。

結婚式を欠席してまで何でこんなひとの通夜に参加せねばならないのかと

空腹でたまらないヨシノは悲しくなる。

 

一方、友人代表の結婚式のスピーチも酔った友人がグダグダに、

二次会幹事たちが喧嘩を始め、

と、どれもこれも大わらわになっている…

 

これを読んで感じたのが、

理不尽だらけ、

何かが劇的にうまく行くこともない

でも、やけにならずに過ごせば、

それなりにいいこともあるかも、と、

思えるということだ。

 

最後のヨシノの一言、まさにそうだなあ…としみじみ感じた。

「わたしは、やっぱりあんまりでかい葬式とかはいいから、誰も関係ない人を呼び出さずに済むようにしたいですね。あと、孫ができたらかわいがって、何もちらつかせずに誰かにお見舞いに来てもらえる人生を目指します」

 

目指すこと、にしては正直大したことないように思うけれど、

損得抜きの人間関係って大事だな、と

しみじみ感じる一節だった。

 

 

ーーーーーー

タイトル 婚礼、葬礼、その他

著者 津村記久子

 

 

 

 

女子栄養大学 料理のなるほど実験室

料理のなるほど実験室 を読んだ。

 

女子栄養大学 料理のなるほど実験室

テレビ、雑誌、書籍や企業のWebのみならず、クックパッド系の投稿サイト、ブログにYoutubeなど、レシピが溢れている。

見るのは楽しいし、このアイデア大当たり!というのもある反面、

  • 明らかに分量おかしい?
  • 手順は省けても、美味しさも激減してる?
  • めっちゃ手間かけてるけどここまでする価値ある?

というように、玉石混淆で何を信じたらいいかわからなくなりがちだ。

 

その点、この本では「栄養と料理」の企画として実験した結果がまとめられていて、

手順や分量を変えて作成、出来上がりの比較と官能検査でのひょうか結果が示されている。

 

調理法、味付けで比較して、これが一番よい、等の評価をしてあり、興味深いのが

  • 手順を省くことで食味は変わるが、どっちも美味しい

というケースだ。

 

例えばハンバーグ。

玉ねぎを炒めるか、何回こねるか、など、仕上がりは違うがどっちも美味しいという結論だ。

(ちなみに、パン粉の量は仕上がりに影響するし、官能検査の結果も差異が出た)

 

これを読んで思ったのが

  • 上達するには基本を押さえる
  • 正解はひとつではない

ということだ。

 

レシピを紹介するひとにも色々いる。試して好みを見つけるのも醍醐味かもしれないが、

時間も試せる回数も限られ、さらに自分以外にも食べさせるとなったときに、

基礎がわかると確実だ。

 

これから料理をするひとに、是非読んでもらいたいと思った。

 

 

ーーーーーーー

タイトル 料理のなるほど実験室