琥珀の夏 を読んだ。
静岡の山にある「ミライの学校」。
自然の中で、未就学児から10代後半、高校生に当たる年齢の子どもたちが共同生活を行っている。
自主性を育むこと、身の回りのことを自分でやれるようになること、
そして、子供たちが「対話」を繰り返すこと。
現代の子育て環境・教育の在り方に疑問を持ち、この方針に共感した大人が
せんせいの立場として、また、親子ともにこのミライの学校にはいり、
親子が別々に暮らしている。
ミライの学校では1週間のサマーキャンプも実施している。
ミライの学校を移転する際、跡地からあるものが発見され、大事件となる…。
この本を読んで感じたのは、社会に居場所がなくても、
人とかかわりあって生きていく限り「今の社会で」生きるすべを
身につけざるを得ない、ということだ。
社会にはいろんなタイプの人がいる。
人を馬鹿にしたりして、集団の中で強い立場にいる人、
集団で、貶められる役回りになりがちな人、
自分の考えが当たり前だと思っている人。
そんな場所で、毎日がつらいと感じているからといって、
なかまはずれ、いやがらせ、争い、いじめ、そういったものが
ないコミュニティの中だけでいつまでも生きていくことは難しかったり、
そんな中でも、何らかの形で意図的に相手を貶めようとする人は出てくることは
ありうる、ということを改めて実感した。
今の環境がつらくて、別の場所を求めても、
つらいことが起こらない保障はどこにもない。
自分が変われば変わるケースもあるかもしれないが、
「自分に責がある」とだけ考える必要はない。
追い込まれたときは目線を変えてみること大事だと感じた。
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タイトル 琥珀の夏
著者 辻村深月