逆ソクラテス を読んだ
小学生をモチーフとした短編集だ。
■逆ソクラテス。
主人公の加賀の同級生、安斎は担任の久留米先生が、
自分の考えが正しいと思い込み先入観を持って児童に接していることに
反発し、「カンニング作戦」を実行する。
事実は事実として認めるが、評価には思い込みや先入観はつきものだ。
先入観から不本意な言葉を投げかけられても、「僕は、そうは思わない」
の一言は、相手の土俵に引きずり込まれない強い響きを持っていると感じた。
他社からの評価で悶々とするときは、このフレーズを思い出したい。
■スロウではない
転校生の高城かれんは目立つタイプでもなく、
これまで一人でいた村田花と友達になり過ごしていた。
クラスの中心人物の渋谷亜矢に目の敵にされ
トラブルが起きるが、そこで転校した理由が明らかになる。
この話も、人を一面で判断する恐ろしさを物語っていると思った。
■非オプティマス
いつもペラペラの服を着て、馬鹿にされてもジョークで受け流す転校生、保井福生。
生徒に対して怒鳴ったり、罰を与えたり、厳しいことを言わない久保先生。
久保先生のことを舐めてかかり、授業中にほかの生徒もたきつけて「缶ペン落とし」を集団でさせる騎士人。騎士人の親が大手企業の重役で、そのことも騎士人はひけらかして偉そうにしている。
保井福生と主人公の将太は騎士人を「失脚」させようと、弱みを握ろうとするがうまくいかない。
そんな中、授業参観で久保先生がある発言をする。
この本で一番印象に残ったといってもいいかもしれないのは、久保先生の参観での言葉たちだった。
- 相手によって態度を変えるのは、善悪以前に危険だ。相手の本当の姿もわからない。実は仕事の面で力を持っているかもしれない。
- 大事なのは評判。ずるいことをしたやつだ、ずるいことを周りにさせていたやつだ、という評判は記憶について回る。
- 法やルールに縛られないこともあり、悪いこと・ずるいことが起きるのもそういう場面だ。人はそういう場面で試される。
人は一面しか見えていない。相手によって態度を変えること意味が腑に落ちた。
そのほかの短編も含めて、
人と人は関係性で成り立っているし、
相手がどんな人なのかのすべての面は計り知れない
先入観で相手を判断して軽んじたりしても、そうしていることを
周りは覚えているかもしれない。
自分が軽んじられたとしても、事実と人の感想は切り分けて考えるようにしたいと思った。
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タイトル 逆ソクラテス
著者 伊坂幸太郎