[ミルクとコロナ]を読んだ。
自分のバイアスに気づくこと、また、目標を見失わないこと
など、改めて気がついた1冊だ。
「野ブタをプロデュース」の白岩玄さん、「人のセックスを笑うな」の山崎ナオコーラさん、
同時に文学賞を受賞した「同期」的な二人の往復エッセイ集だ。
主に、育児、社会・家族での役割に関する考え方やコロナ禍での過ごし方といったテーマでつづられている。
この本では、これまで気づかなかった視点がいくつもあった。
■「黙らざるを得なくなる」(白岩玄)
男性は子どもを介したつながりが持ちづらく、また、育児における男性蔑視(男性は育児をしない生き物だと決めつける態度)を取られがち、というものだ。
白岩さんは、こうしたことは、
世の男性がもっと当たり前に育児参加をしていれば起こりえないことだ。だから、ぼくは育児をしていて性別の壁を感じるたびに、言葉が出てこなくなってしまう。
と振り返っている。
これを読んで、自分が視野が狭かったと感じた。
「社会・職場・家庭における女性蔑視」ばかりに目を向けていたからだ。
性別によるバイアスをかけず、対等にいろんな人と接したいと思った。
■「こんな生活の中でのコミュニケーション能力」(山崎ナオコーラ)
子の状況から自閉スペクトラム症(ASD)を疑い、自発的に検査を受ける。
知能テストは点数もよく凹凸が出なかったが、親の主訴の内容から、医師は「ASDの傾向があるととらえてよい」と診断する。
それを受け
療育を受けさせたい。それは決して「普通と違っているせいで困ったり大変だったりしているから、普通になるように治したい」と思っているわけではない。
「特性を知り、自分に合った教育を受けて欲しい。周囲を傷つけることなく、自分も大事にして、生きていって欲しい」と願っている。
と山崎さんは述べている。
これを読みハッとした。
療育には正直マイナスイメージがあった。
それは、「普通のことが出来ない、だから、普通の子と同じようにできるようになる」ととらえ、ゴールが「普通の子と同じ」を目指すこと、とはき違えていたからだと思う。
「周りの人への適切な接し方を学んで本人が幸せに生きること」をゴールとしてとらえると、必要な手段も変わってくるだろう。
このように、目的・ゴールをどうとらえるかで、やるべきことは変わる、と気づいた。
誤った目的に子を連れ込んでしまうと、誰も幸せにならない。今自分がやろうとしていることの目的は?というのを随時振り返ろうと思う。
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タイトル ミルクとコロナ
出版社 河出書房新社