家庭を持った途端、女ばかりに家事育児に雑務に、、、といった負担がのしかかる、そういった側面から女ばかり損してる、ということを感じることはありました。
でも、「女らしさ」という規範に影響を受けて、自分の考え方が枠にはまってしまっているのでは、という視点では考えたことはありませんでした。
ジェーン・スーさんと脳科学者の中野信子さんの対談では、「女らしさ」という社会規範によって、行動や考え方が影響を受けている結果、「モヤる」のではないか、という事例が多数指摘されています。
- 女に頭が上がらない といいたがる人は、俺にはあんな仕打ちは耐えられないという意味で使われているかも。あんな仕打ちというを自分でやっていることをうっすら気づいていて、懺悔するような気持で。決して、尊敬の意味ではない。
- 「感受性が豊か」であることが「女らしさ」と定義するのも、女は誰かに気に入られないと社会で生きていけないという強迫観念につながる。誰にでも好かれようとすると「自己決定権を手放す」ことになる。
- 女は社会的な刷り込みによってサポーティブに生きることを推奨されているし、それが楽しく感じるときもある。でも、なぜ自分が人のために苦しまなければならないんだ、という感情に簡単に変わりやすい。
- 何か成功しても実力では運と思いこむ「インポスター(詐欺師・偽物)症候群」は圧倒的に女性やマイノリティに多いというデータがある。
- 自分には無理、と思うこと(会議で最初に発言する、意見に反対をとなえる、など)はお仕着せの社会規範だったと思うこともある。
- いつも正解を選ばなくてはいけないんではなくて、自分の行動を正解にする気持ちが必要。人の意見に従いがちな人に対して、「あなたは自分で決められる人ですよ」と言い続けると、実際に自信が持てるようになるという。
平凡で取り柄がない、ということは、人からつるし上げに合わないといった共同体に適応する有利な戦略でもある。
そのうえで、男と女どっちが得かと考えることは不可能だけど、自分が置かれている状況下で最も得な選択肢を自分で考えて選ぶこと、それが、生存戦略である、とまとめられています。
私自身、サポートするほうがいい、自分に自信がない、自分の実力じゃない、決めるのがつらい、など、まあ、心当たりがあるわあるわ…
他責にして、責任を負いたくない、という気持ちは強いものの、実際にそうすると、なんか楽しくない、損してる、と「モヤっている」こともまたこれ事実。
他人のために生きるんじゃなくて自分のために生きる、そのために一生懸命考える。
時には失敗するかもしれないことにチャレンジして、失敗したら都度リカバーする。
まずは、ちいさなことでも、自分で決めてやってみる、というのを実践したい。
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