「聖なるあきらめ」とは
あきらめる、という言葉の持つ否定的な意味(断念する・投げ出すなど)ではなく、
良い意味での「明らめる」=仏教用語で「物事を明らかにする」「真理に達する」の意味であきらめることで、不安、怒り、執着を消すためのヒントが紹介されています。
物事には「自分の力で変えられること」と「自分の力では変えられないこと」との二つのがあるのだとわかります。
自分で変えられることを見つけたら、早速変えてみてください。
一方で、変えられないことを無理に変えようと執着すると、自分も周囲の人も疲れてしまいます。自分で変えられないことは「あきらめて」みましょう。
(中略)
代わりに何かできないかを探してみましょう。代案を探すコツは、目的を思い出すこと。(中略)変えられないことのほかに、いろいろな選択肢が見えてくるはずです。
つまり、「聖なるあきらめ」とは、自分も周りも幸せにする行為なのです。
投げ出すわけではなく、できること・できないことを見極め、どうにもならないことに直面したら、「聖なるあきらめ」を行い気持ちを切り替える習慣をつけることの大切さを説く1冊です。
特に気になる「人は矛盾の中に生きている」
ほとんどの事項が納得がいき、自分がしあわせに生きるための考え方のヒントが得られました。
ただ、1個だけ、おそらく真理なんだけど、実践してみようと素直に受け止められない、それゆえかなり印象に残るエピソードがあります。
人は本来、自分の価値観をできるだけ曲げずに楽しみながら働くことが一番幸せなのです。心の中に矛盾を抱えないほうがいいに決まっています。でもいつも、そうできるとも限りません。
環境を変えず、矛盾を抱えたまま過ごし続ける場合……。「私は矛盾の中に生きているのだな」ということに気づきつつ、自分を責めないことが大切です。また、人や組織や社会全体に責任を転嫁することもよくありません。(中略)
また、「痛みを抱え続けさせる」矛盾から逃れるのも潔く諦めましょう。
(中略)
矛盾がつきものの経済活動を通じてしか人は生きられず、自分一人の命さえ守ることはできないのです。
「できることだけでも解決する」ということを知って、希望を見出してみませんか。
例として挙げられた強制収容所のナチスドイツ兵(命令に背けば自分が殺されるのでユダヤ人を殺す)ほどではないにしろ、「コンプライアンス遵守」という会社からのメッセージと「忖度」「コンプライアンス的にグレーだけど、みんながやっているから/利益を出すため黙認する」といった実態との乖離など、現実には悩ましい問題が色々あると思います。
合法なら(人道的観点からは決して認められませんが、ナチスの中では「合法」だったのかと)矛盾を抱えて生きていく、というのは仕方がない面があると思います。でも、そんな簡単に「矛盾」を認め、転嫁も諦めもしない、というのはむずかしい。
モリカケ問題で自殺された職員の方の事を思い出しました。
コンプラ問題やハラスメントなど、法的・人道的には黒であることを「グレー」とみなし、組織の中で生き残るために「忖度」をすること、それを「矛盾の中で生きているんだな」で心の中で解決できるのか、正直、とても、もやもやする一言です。
その葛藤を受け入れることを含め、「組織から報酬をもらって生きている」と納得させる部分、「矛盾として認められない」部分の線引きをするかは、きっと自身で判断が必要だと思います。
その感情の整理ができるようになることが、人として生存するための条件、だといわれているような、なんだか、とても重い大きなテーマの一節でした。
たぶん、仕事以外にもいろいろ同じようなことはあって、一生悩み続けるしかないのかな。
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タイトル:あきらめよう、あきらめよう
著者:鈴木秀子