おしごと小説ということで、
「ほたるいしマジカルランド」を読んだ
遊園地で働くいろいろな従業員のエピソードが描かれている。
その中でも、三沢星哉の話が印象に残った。
星哉は、両親の離婚後、病院経営をする父方の祖父の養子となった。就職した会社をやめた後、ほたるいしマジカルランドでアルバイトしている。
相続税対策として譲り受けた土地・家屋の賃貸収入があり生活には全く困らないが、体裁が悪いから働け、と言われたためだ。
バイト中にSNSで好意を寄せている女の子を園内で見つけるが、デートをしている様子だった。しかも、園内で男性が清掃員に怒鳴りつけているトラブルが起こったところを、ちょっと楽しそうに、「娯楽として消費」している。その姿を見てショックを受ける。
一番印象に残ったのが次のシーンだった。
その日の帰り道、男子大学生アルバイトの宮城が、具合が悪そうだから送っていく、と心配して申し出た。
しかし星哉は、自分には人を惹きつけるものはなく、
金があるとか、便利だとか、そういう理由がなければ、自分は人から求められない
と思っている。
そして、「キモい」とか、「そういう趣味」があるのか?と問い返してしまう。
そんな星哉に宮城は、以下のように問いかける。
「僕や佑くんが三沢さんのことをれない対象として好きやったとしても、それをいきなりキモいとかいうの、どうなんですかね。失礼でしょ?」
同じほたるいしマジカルランドの職員たちがやってきて、反論のタイミングを失う。一緒にケーキを食べに行かないかと誘ってくれる。
そこで、
世の中にはメリットとか見返りとか、そんなことを考えずに他人と接する人間もいるのかもしれない。
と思う。そして自分の母のことを思い出す。
自分と星哉を重ね、正直とても落ち込んだ。
身近で大切な人より、職場や周りでどう思われるか、を気にする。自分がどうしたいかで行動できない。
自分が顔を出さないと、文句を言われるから行く、逆に普段いかないのに行ったらなんて思われるかわからないから、行きたくても行かない、とか
コロナ禍で「感染したら・感染させたら」怖いから旅行や帰省を控えるのではなく、「感染したら世間になんて言われるか」怖いからやらない、という考え方をしてしまう。
一方、親切な人、がいるとなぜ自分(や自分の家族)にこんなに親切にしてくれるんだろうと、むしろ戸惑う。
これからは、行動の基準が自分の考えではなく自分の思い込みの「周囲」になっていないか、自分は、気にかけるべきものを間違っているのではないか。
本当に気遣う相手のことを思えていない時、その都度自問自答したい。
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タイトル:ほたるいしマジカルランド
著者 :寺地はるな